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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和25年(う)295号 判決

被告人

谷口政弘

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金三万円に処する。

右罰金を完納することが出来ないときは金五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

押収に係るパンオピン、スコポフミン注射液百二十八管(証第一号)は、これを没収する。

訴訟費用は、全部これを被告人の負担とする。

理由

弁護人小林宗信、同高見之忠論旨第一点、同島田武夫論旨第一、二、三点について。

(イ)(前略)所論のように、被告人が居宅内に判示注射液の存在することを忘却していたとしても、麻薬取締法第三條に所謂所持とは、一定の人が一定の物を事実上支配する立場にある場合を総称し、しかも所持関係の継続には支配意思の継続を必要としないから、所論のような事実が存在したところで、原審の事実認定を左右するに足りない。(中略)論旨はいずれもその理由がない。

弁護人小林宗信、同高見之忠論旨第四点、弁護人島田武夫論旨第四、五点について。

(ロ)(前略)原審検証調書の証拠能力に関する弁護人の所論について案ずるに、検証現場に於て立会人が検証物と直接関連しない事実について、実質的に証言と同様の供述をした場合、これを採つて証拠資料とすることは検証の性質及び目的に鑑み、採証の法則に反する違法の措置であるといわねばならないが、然らざる限り、すなわち関係人の供述が敍上の範囲を逸脱しない限り、検証調書中、これ等関係人の供述記載は、証人尋問の手続を履践することなくして、しかも証拠たるの資格を完全に備え、これを判決中に引用して、事実認定の資料とするも決して違法ではないと解するのが正当である。記録に徴すれば、原審検証調書中関係人の供述記載は、検証の目的物に関する事項についてのみなされ、いずれも検証の性質並びに目的に副つた限度内のものであることが明かであり、これらの供述は、いずれも完全に証拠能力を有するものと認められるから、原審がこれを証拠に引用したからといつて、原審は所論のごとく証拠能力のないものによつて事実を認定したものということが出来ず、論旨は理由がない。

(弁護人島田武夫の控訴趣旨)

第二点 原判決は擬律を誤つたかまたは事実を誤認した違法がある。

原判決は、「被告人は、昭和二十年五月頃樺太オツトセイ製薬工業株式会社から譲り受けた麻薬パンオピン、スコポラミン注射液百三十管中百二十二管を、昭和二十四年四月二十三日頃被告人肩書居宅に所持していたものである」と判示した。

判示のように、被告人は昭和二十年五月頃、判示麻薬を樺太オツトセイ製薬工業株式会社から譲り受けたけれども、同年六月頃これを妻ヤイに贈り、爾後ヤイにおいて所持していたことは前点所論の通りである。仮りに判示麻薬を被告人から妻ヤイに贈つた事実がなかつたにしても、被告人においては勿論、妻ヤイにおいても判示麻薬を所持していることを忘却失念していたのであつて、実力支配の意思がなかつたのは、もちろん、客観的容態から見ても、これを所持と断ずることはできないと思う。(中略)

これら証拠によつて見ると、被告人及びその妻ヤイは、本件麻薬を所持していることを全く忘却していたもので、特に被告人は会社の建設等の仕事に忙殺されていたので、数年前に妻ヤイに与えた麻薬のことなど、全然記憶していなかつたことが明かである。また麻薬箱を包んだ包装紙の上に、ほこりが沢山ついていたことから見ても、最近これに手を触れたことのなかつたことが明かである。

おもうに麻薬取締法第三條にいわゆる所持は、麻薬を自分の支配内におくことであり、これを支配する意思がなければならぬと思う。たとえ支配を初めた当初に支配する意思があつたにしても、本件においては、それは麻薬取締規則の公布された以前のことであるから、当初から違法に所持する意思はなかつたわけである。その後数年間所持していることを忘却していたのであるから、支配を持続する意思もなかつたのである。これを客観的に見ても、物置棚に不用品とともに混然塵埃に塗れて放置してあるごときは、麻薬というような重要な禁制品の所持の仕方とは見られまい。して見れば、原審がこれを麻薬の所持罪として麻薬取締法第三條、第五十七條を適用処断したのは、擬律を誤つたかまたは事実を誤認したものであり、原判決は破棄されるべきものと信ずる。

第四点 原判決に、訴訟法上証拠能力のない証拠を断罪の資料に供した違法がある。

公判調書を閲するのに、被告人が押収にかかるパンオピン、スコポラミン注射液をその居宅において所持したものであるか否かは、原審において重大な争点となつたものである。原判決が証拠に引用している被告人の原審公廷における供述によつては、判示の如く昭和二十四年四月二十三日頃判示注射液を所持していたことは証明されていない。また原判決が証拠に引用している証人辰口茂の原審公廷における供述中には、同人が被告人方「入口の方の棚の上に紙に包んだものがあるのを発見し、おろして見ると中に薬らしいものがあつたので薬剤監視官の奥に見せたところ、これが麻薬だといわれ、応接間でその麻薬の数量を数えた」旨の記載はあるが、その数量が幾らであつたかの供述記載はない。また同証人は、その麻薬は「紙に包んで紙の紐をもつて括つてあつたが、どんな紙であつたか記憶ありません」と述べてあるから、どんな包装用紙であつたか判らないのである。それで右入口の棚の上から発見された麻薬の数量とその包装状況は、他の証拠によらなければ立証できないのである。原判決は、この点を立証するために、検証調書の記載と証人辰口茂外二名の各供述調書を引用した。しかしこれらの証拠はいずれも証拠能力のないものであるから、結局原判決は判示麻薬の数量と包装による所持の方法については、何等証拠を引用しない結果となり、判決に理由を附しない違法があるものと信ずる。

よつてまず原判決の引用した検証調書の記載が証拠能力を有しないことを指摘する。

この検証調書は、被告人及び立会人の供述記載が大部分を占め、その他の部分は殆んど証拠価値のないものである。従つてこの検証調書は被告人や立会人の供述調書というべきものである。この立会人の供述を記載した部分は、立会人が過去の経験を供述したものであつて、その実、一種の証言であるが、これに対して被告人や弁護人は反対訊問をなす機会を与えられておらず、かような供述書は原審が認めるように無條件に証拠能力を有する理由はない。また右検証調書中被告人の供述は、被告人の署名または押印のあるものではなくこれを証拠とすることはできないと思う。もし原審がなしたような手続を許すならば、検証の際立会人に名を藉りて、証人訊問をなし、この供述書が無條件に証拠能力を有するならば、刑事訴訟法第三百二十條の趣旨は沒却せられるであろう。

これを要するに、本件検証調書中立会人及び被告人の供述を録取した部分は、証拠能力がないのにかかわらず、原審がこれを証拠に引用したのは違法であり、次の第五点と相俟つて、この違法は麻薬の数量と包装状況の立証を拒み、判決に影響を及ぼすものであるから、原判決は破棄せらるべきものと信ずる。

(註 本件は量刑不当により破棄自判)

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